読んで思ったことは、WF実行委員会とガレキディーラの間にお互いに意思の疎通が出来ていなかったな、ということです。
ディーラから実行委員会へと話す機会を持っていたにも関わらず、その機会を有効利用できなかった後藤にも責任の一端があったかと思うと悔しいのですが、
まあ今からでもということでここに書かせていただきます。
#自分のところに書くのも気恥ずかしいので、東海村氏の掲示板だけですませようかとも思いましたが、
ここに書き連ねる思いは心からのものであることの証左として、恥ずかしながら再録させていただきます。
白井氏の怒り・萎えは、簡単に言うと「ヌルいディーラしかいなくなってしまった」ためと読みました。 ガレキに対して真摯な姿勢をお持ちの白井氏ですから、それを人にも求めたいとお考えなのでしょう。
ヌルいディーラ、P49第4段(およびP51第4段)からその定義を抜き出しますと、
「[圧倒的プラスのオーラを発しているすごいディーラ、もしくは『そのようなディーラに少しでも近づきたいという意思を持つディーラ』]ではないディーラ」
かと思います。
すごいディーラ。これは確かに会場でもごくわずかでしょう。きつめの判断では片
手で足りるだけくらいしか数え上げられないかと。
しかし、一方、そのようなすごいディーラに少しでも近づきたいという意思を持つ
ディーラ。これってそんなに少ないですか?
このような常識以前のこと、クソ恥ずかしくて酒飲んですら言わないですが、造
形やっている人間なら、100人が100人とも「倒れるときは前に」がポリシーだと
思うのです。
自分の技量なりを向上させるつもりのない原型師などいるんですか?
「自分の最高傑作は最新作だし、だが、それを越えるのは今造っている次回作
だ!」と言えるような人間になりたいと思わない原型師っているんですか?
人がなにか意識して行動にうつるとき、必ずその動機があります(とか、学生時
代の心理学ではそう習った)。
原型造る動機ってなんでしょう。金でしょうか?それもあるでしょう。でも、人は金
だけでは生きていけません。なにかしらの尊敬がなければ遅かれ早かれ立ち止
まります(とか、留学時の経営学の講義では聞いた)。
人に知られる、例えばとてつもない数のキットを売り上げたり、余人に賞賛される
ようなことは大きな動機だと思います。
でも、これ以上に、「今日の自分は昨日よりマシになっている」というような、天も
人も知らないであろうが、我だけは知る、自分の自分自身に対する尊敬・充足が
大きな動機になるかと思うのです。
原型造ったりするなんて、拘束時間から考えると、趣味としてやるにはコストが高
すぎます。それでも原型やっているのは、萌力を糧に努力研鑚することで、後者の
大きな満足を得られるからではないでしょうか?
自身の場合、この鳩尾ライン、俺にしては(って、ここら辺がヨワヨワ^_^;)よく出来た
ぜ!ちったぁうまくなったんじゃねーか?とか思っても、普通人様に吹聴したりしま
せん。
これは純粋に自分自身で閉じている満足であるからです
(一方、結果としての作品を見て「この鳩尾、美しいですね」とか言ってくれる人がいると、さらに嬉しくなることとは矛盾していないと思います)。
皆、口には出さないけど「すごいディーラに少しでも近づきたい」と思っているのではないでしょうか?
上の定義から言えば、後藤は自分がヌルい原型師であるとは思っていませんし、
ヌルいディーラを探すほうが難しいのではないかと思います。
#出来そのものに関しては、後藤の場合、満足行くうなじのラインも出せないヘロヘロ原型師ではありますがT-T
繰り返しになりますが、「少しでもうまくなりたい」なんてこと、人様に向かって泥酔したって言わないけど、
これって「常識」でないのですか?わざわざ言わなくちゃいけないこと?
でも、今回のMGの記事で、言わないとわからないようであることがわかったので、
言います。酔ってないけど。
「オレは自分自身を向上させたいと常に願っている。でも、生きる為の雑事でそのた
めの努力の優先度を下げざるを得ないこともある。それでも、WFにおいて人の造形
を見てショックを受け、初心に戻ることができる。
だからそのような貴重な機会を与えてくれるWFに信任投票一票。」
これでいいすか?
口に出して言わないことと、そう思っていないことは全く等価ではありません。 しかし、言わねばわからないということも真実ですので、 敢えて「このオヤジ、熱くなんなよ」と、または「踊るな、いい年こいて」とか言われかねない恥ずかしい告白をいたしました。
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本当なら、白井氏なりに直接お話もしくはメールすべき内容なのでしょうが、
白井氏もこれに割くお時間が無限に在るわけではないですから、東海村氏のBBSに書かせて頂いて、
都合のよいときに他の人の意見といっしょにまとめ読みしていただくほうがよいかな、と判断しました。
また、あわせて、自分の発言に責任を持つという意味で
(また、本気であることを示す、さらに、可能であればこれを読んでくださった方が、その方なりのステートメントを明らかにしてくれることを祈って)
ここに駄文(それも書いている本人が恥ずかしくかつ鬱陶しいものですから、読まれる方には鬱陶しいものそのものかと想像します)を掲載させていただきました。
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