読書感想文みたいなもんです
すいません、酔っぱらいの戯言みたいなもんです、の2回目。というかお詫びというか。
まずは謝っておかねば。 すいませんm_o_m>村上さん
#まー、ここを読んでいるわけもないでしょうけど、一応ね...

モデルグラフィックス5月号読んでしまいました。
一部では、んな戯れ言書くくらいならもっと作例載せろとの意見もあるようですが、 後藤はこーゆーコラム的記事意外と好きなんです。 だいたい、キャラもの取り扱い模型誌が3誌と過当気味に存在するのですから、その内一誌くらいこのようなことやってたって痛くもかゆくもないじゃないですか^_^;。

で、本題、コラム。 アブストラクトしか読まない後藤が偉そうなこと書いてたりしたが、このコラムを読む限り、村上氏はなんらフィギュアとガレキを峻別すべきであると言っているようにはとれない。 それどころか、「それまで存在しなかったような表現方法、それこそが発明であり、リスペクトの対象になる」(モデルグラフィックス1999年5月号 pp.44 下段より引用)および 「いま日本でいちばんリアルな文化を創造している現場はまちがいなくここ(WF)にあると思うんです。ただ、日本にはいままでその意味や価値を評価するメディアがなかったから、そのことが理解されてこなかった。だったら、自分がそのために、そういう評価を日本でも得られるような環境を海外マーケット経由で作っていけばいいんじゃないか、と考えたわけです。」(同上 pp.43より引用) と、リスペクトされるべきものが正当な評価を得られるべきであるとしごくまっとうなことを言っているだけである。 まこと我が意を得たり、の記述である。 後藤がWFのレポートなんぞ書き、気に入ったディーラをとりあげることでそれらのディーラのキットが次回入手困難になるかもしれない危険(^_^;)を犯しているのは、 ただただ、気に入った作品には賞賛を惜しむべきでないとの信念ゆえである。

ま、Project KO2がなにかしら新しい表現であるか否かの議論はこっち置いとくとして、 なにかしら新しいことを実現した人はそれなりにみなで喝采すべきであると後藤も思う。 例えば、ガレージキットに同人誌的コンセプトを持ち込んだ「鏡の国のアニス」の澁谷氏(空が好き)、 「はかなげ」な「実在感」などの複数の相矛盾する属性を一つのガレキに盛り込んだ「クレア」の前田氏(Works札幌)、 2Dならではのデフォルメを、そのイメージを壊すことなくしかし全く異なる表現で3Dに投影している「虎娘」の澤渡氏(One)。 どれも後藤にとっては目新しく、驚きを伴った作品であった。 厳密に言えば、これらで表現されたものは「いままで存在しなかった表現」ではないかもしれない。 「いままで存在しなかった」の定義もあやふやであるし (#最近発見された自然法則?昔から自然はそのように動いていたよ。ただ人間が気づかなかっただけで^_^;)。 例えば、「クレア」における相反する印象をそれぞれを殺すことなく統合すること。 一枚の能面でその顔の傾きを変えることで陰影や見え方を変化させ喜怒哀楽いずれも表せるようにすることは有名である。 ダ・ビンチの「モナ・リザ」は見る人の気分により微笑みの意味がかわるとも言う。 しかし、少なくともここガレキというドメインには存在しなかった表現、換骨奪胎なのかもしれないが、これを実現したという功績をもって、後藤は彼らを尊敬し、彼らに賛辞を惜しまない。

そのスタンスにおいて村上氏は後藤の心の戦友である(って、一方的にんなこと言っても、氏が嫌がるって^_^; だいたい、村上氏はフィギュアというもの自体が評価の対象である、ということについて戦っている戦略級司令官であるのに対し、後藤は、特定のフィギュアキットいくつかについて、評価足るべきものであると呈示する戦術級・戦闘級の下級戦闘員なわけで)。 その戦友の言葉も直接聞かずに判断下してしまって、ごめんなさい、が本稿の主旨^_^;;;;

蛇足1:F-FACEの浅井氏のマルチ、のように ぷに感が最優秀、というようなもの、すなわち「きわめてよい出来」というものについても声を大にして褒め称えたい。 言葉として表明しにくい(原型師にそのキットの良さの説明責任は発生しない。文で現すのでなくその作品をもって表現するのが原型師の責任なのであるから。あたりまえだけど確認まで)なんらかの「発明」が実装されているからこそこれだけのぷに感が実現できるのであろうから、村上氏の基準に照らし合わせても評価対象、なんですよね?

蛇足2:村上氏の言うところ、同感である。 しかし、なぜにWFガイドブックのようなアブストラクトになるのか? 前回のイベントでは全く異なることを言っていたのか?
失礼を承知で後藤の憶測を書いてしまうと、どこかで伝言を伝え損なったのではないのだろうか?
例えば今回のコラムを書いている小田切博氏の「つまり、「アートはアート」「オタクはオタク」という線引きが確認され、ここではっきりと両者の棲み分けが図られているわけだ」(同上 pp.45より引用)との認識、これは「誤っている」のではないだろうか? なぜにこのような結論にたどり着いたのか、その場にいなかった(いや、会場内にはいたのですが、んなイベントに顔出している暇無かったし^_^;;;)後藤には想像しかすることは出来ないが、少なくともコラムのなかで参照されている村上氏の言葉からその結論を得ることは後藤にはできない。
まあ、矛盾を感じたときにはテクスト(原典)にあたれ、というのが常道であるから、こんど渋谷まで村上氏の展示会でも眺めにいきましょうかね。


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