「新しい流れを造る原型師たち」後藤テキストへの補遺

「新たなる『何か』」第3章の3ページほどをいただいたのですが、やはり模型誌なのだから作品写真をもっとも重視してレイアウトすべきですよね、という正しい認識のもと、その分、スペースの都合上や全体の話の流れの上での重要性の軽重からいろいろと割愛しなくてはならないテキストがありました。 なかなかあれだけの文字数では、言いたいことの万分の一も言えなかったのですが、まあ、電波を公器を使って流すのも躊躇われるのでばっさり切りました。 が、あまり字数的制約のないネットというものがせっかくありますので、ちょっと切り捨てテキストをサルベージしてここに記します。
元ネタは「新たなる『何か』」:月刊モデルグラフィックス 2002年5月号(210号)、pp46-55ですので、是非ともそちらもご覧ください。

○前書き
 座談会テキストにて「萌え」なる概念が提示されています。 その中でも申し上げているように後藤にとって必ずしも厳密に定義された概念ではない、言いかえると、余裕でオーバーサーティな後藤が本当に理解しているのか我ながら不安というか、単刀直入に言ってわかっているとは言いがたいのですが、「後藤の好きな作品」であればまあ選べますし、それらに共通していると思われる要素ということであればなんとか抽出できます。 この後藤の「好み」をもって「萌え」の例とするのはあまりに僭越とは思いますが、とある視点から見た最近のガレキイベントでの流れ、といいますか、今現在、一際光り輝いていると後藤が思う原型師の方々の作品を具体的に例示するという方法で、これらの作品が従来となんらかの差異があるのかどうかを探ってみたいと思います。

○萌えとエロ
 まず「萌え」と「エロ」の関係についてここで明確にしておきたいと思います。萌えキャラはいわゆるギャルゲー起源であることが確かに多いですが、ギャルゲーが「エロ」ゲーであることが過剰に取り上げられているきらいがあるように思います。確かに「萌え」は煩悩的「エロ」要素を含んではおりますが、必ずしもこれが主たる成分ではありません。批評家の東浩紀氏の言を借りると「成人向けということで不必要な文学性や芸術性を顧慮する必要がないノベルゲームは、(中略)萌え要素への情熱をもっとも効率よく反映した(後略)」ものであることが重要であり、必ずしも「エロ」要素を含むために成人向けにしているものではありません。煩悩と区別が難しい領域は「ちょっと萌え」とわざわざ「萌え」と区別して称されるように、動物としての基本的衝動を元にしている「エロ」と、その作品自体では提示されていない背景設定も含んだ各種要因が有機的に結合されてはじめて想起される「萌え」とは同じものではありません。言葉を変えると、誰しもが先天的に持つ「エロ」アンテナと、後天的な訓練によって得られる「萌え」アンテナは、脊髄反射と条件反射が言葉は似ているがまったく非なるものであるのと同程度に異なるものです。その意味で、萌えキャラの伸張とエロキャラの伸張は別々に議論が必要です。

○軸について
 作品紹介では、いわゆる「従来模型は理解している方」の理解の助けにするための目的のみで、萌え模型の構成要素を明確にするために、MG1999年11月号の尾上一等氏によって提案されたレーダーチャートを用いて分析的に定量化を試みます。 軸については表現力、工作力、殺傷力の3軸を6軸にブレークダウンしていますが、Aに近いほどより萌え的・主観的にのみ評価可能な要素、Fに近いほどより模型的・客観的評価可能な軸となっているかと思います。
注:草稿時には、A:セツナサ、B:ときめき、C:ふぇち、D:空間構成、E:正確さ、F:模型的精密度、となっておりました
主観的なイメージを要素に分割することが妥当なのか否かについては実は自信がないのですが、従来軸との対比を行いたいが為にかなり乱暴では在りますが要素分割しています。
また、今回は、それぞれの軸の重要度は人それぞれ何を面白がるかによって異なっているでしょうから、従来のレーダーチャートのような軸の長さ固定ではなく、軸の長さ、すなわちそれぞれの人におけるその要素の満点の点数の値として、軸の重みを表現できるようにします。 この軸の長さは人それぞれですが、本稿では便宜上、後藤の持っている重みをもって統一的に表現しています。
注:後藤的重みは、草稿時ではセツナサ:100点満点、ときめき:50点満点、フェチ:30点満点、空間構成:30点満点、正確さ:15点満点、模型的精密度:10点満点で、これにあわせて軸の長さを変える(これによって厳密には正円にならないのでレーダーチャートとは言いがたくなるのですが)ことが必要ですが、記事では印刷的問題から正円に正規化してしまっておりますT-T
 繰り返しになりますが、軸の重みは作品を楽しむ個人個人で異なるでしょうし、更には軸自体すらここで提示しているもの以外にもあるのではないかと思います。 その意味で、今回の試みはかなり強引な定量化であり、必ずしも全容を記述できるものではないことは明白であって、「意味あるのか?」とのお叱りはあえて覚悟の上で、ここで表される点数を云々するのではなく、今までと異なった軸=視点から作品を見てみるとより楽しくなるかもしれない、と思っていただけることがあれば幸いです。

○後藤的結論
 MG誌の掲題特集第三部において、光を放っていると後藤の感じる原型師の方々を取り上げ、その方々の作品について述べてきました。きわめて主観的感想文に近い解説文であったとは思いますが、それをご寛恕いただき大枠を捕らえていただけると、「このタイガー重戦車、88mm砲の存在感がよく表現され、連合軍兵士にとっての恐怖の代名詞にふさわしい重量感がある」のようなコメントとあまりかわらないことをご理解いただけると思います。 萌え模型には従来模型とは異なる評価軸=要素があり、同一線上で語ることは必ずしも簡単ではないのかもしれませんが、一方、多くの共通する要素を持ち、また「異なる」と述べた要素でさえ、従来いわゆる「解釈」と呼ばれていたもののバリエーションに過ぎないことを汲みとって頂けたら幸いです。
 参照すべき実立体物がないキャラクター模型の場合、スケール模型に比べてより広範な解釈が可能かつ必須であり、であるがゆえに自然と解釈の重視が進んだものと考えます。したがって、キャラクター模型の一分野である萌え模型では、表面処理の細かさや、踝の位置の正確さということも重要な判断条件ではありますが、この解釈、言いかえると、演出の要請があれば美術解剖学的正確さは一時棚上げでき、かつ、それを簡単には気づかせないだけの、いわば「矛盾の調停」能力が極めて重要となります。そしてその矛盾調停を行うプロセス中に自分の表現したいものを加味することが許される、すなわち「模」することのみならずなにか新しいことを付加することが許される、さらにその付加が歓迎されうる、という点において従来の「模」型とは若干解釈の強度が異なる-例えば似ていなくても評価され得るわけですから-ことが、わかりにくさの主たる原因なのではないかと考えます。
 この「何かを付加する」という作業、いわゆるスケールモデルでも程度の差はあれ普通に用いられていること。 力点をおく場所の重みこそ新しいかもしれませんが、いわゆる従来模型とは同じ流れの中にあるのではないでしょうか? そして、この新しい点に着目して言うと、模型が結局は個人の満足を目指しているものであるとすると、各人の満足は十人十色に多岐にわたるこという状況を考えると、この付加作業、一つのオリジナルから多数のバリエーションを創り出すことに他なりませんから、ガレキのような少量多品種生産という手法に乗れば、最大多数の満足を得ることが可能ではないでしょうか。 勇み足を承知で言うと、このような人の解釈を大事にする萌え模型の「方法論」は、多様化する趣味に対応しうるという点で、模型のありかたの次の一手、必ずしも単調増加していない模型界の救世主になるかもしれない、なるとよいなとか思っていたりしています。

(2002-03-25)
さらなる追記というか、蛇足というか、かなりフィクション入ったこの企画まわり日記もアップしました。(2002-03-27)
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