とある企画顛末記:お手伝いの視点から

1.背景
ことの発端は某氏の「模型の嗜好にジェネレーションギャップというものはあるのか?もしそうだとしたら、自分の守備範囲外というだけで美味なものを味わうことをしないのは造り手も食べ手も不幸ではないのか?」という問題提起。 他人様が感激しているものを自分がその感激を共有できないのは確かに悔しい、是非その味わい方教えれ、とか思ってしまう後藤としては、全く同感、みんなで食べたほうがより美味しいよねーちうことで、「やっぱ嫌いかも」とか言われてしまうかも知れないけど、「食べてみたら意外とイケるかも」という方が少しでも出ることを願って、皆にぜひとも一口味わってもらうような企画をしましょー、とかなだれ込んだり。
後藤のふらふらしている女の子ガレキドメインにおいて、このギャップ、特に30歳を境に存在すると仮定されるギャップとは「萌え」じゃろか、とあるおしゃべりにてある程度洗い出しができていたため、この「萌え」が濃厚な模型をいくつか例示し、それらを再度30歳超の方々にご覧いただくことでそのギャップを埋める一助にならんだろうか、と話は進行。 で、見てもらうだけでは今まで見ていなかった点に視点を自ら持っていくことは難しいから、なんらかのテキストで補強する必要があるかねー、ということで、記事の大体の骨格は決まっていったのです。

2.萌え定義
骨格は決まっていても、肉を付けるのはまた別の作業。 といいますか、なんかやはり根本的に困難なんですがー^_^;
だいたい、萌え模型ってなんですか、とか問われると、どうにも返答に困ってしまいます。 本当はここをキチンと定義しなくてはいけないのですが、あえて乱暴に言ってしまうと、 「似てない? いいじゃないすか、こっちのほうがより面白いのだから」と言えちゃう模型なのかなーとか思います。 女の子キットであれば、「面白い」の部分が「可愛い」とか「肉感的な」とか修飾語は変わりますが、本質はいっしょ。 言い換えると、なにやらどうにも惹かれる点があって、その他の点についてはあまり気にならなくなってしまうような模型。
で、その面白いという感情を湧き起こす中心にある「萌え」ってなんだと問われると、こちらもいかにも返答に弱るかと。 このあたり、以前の「萌え掲示板」の繰り返しなので、笑って読み飛ばしていただけると幸いなのですが、 まず、だいたい、「うご、苺嬢萌え...」と同じこと何人かが喋っていても、各人その内容は異なっているのではないかと思います。 十人十色というように、あたりまえじゃん、ということを、もうちょっとくどくどしく書いてみると、以下のようになるかと。 萌えとは後天的に学習される「連想」作用により惹起される正の感情(=記憶によって構成される「イメージ」のうち、正のもの)である、という説明を受け入れるとすると、この連想作用、各人の脳味噌のなかのシナプスの接続(昔の萌え談義での、パンディモニアムモデルにおける認知デーモンの存在・視野・発声の構成、と言い換えてもよいかと思いますが。パンディモニアムpandemoniumについては、Selfridgeの元論文読むのもよいですが、リンゼイ/ノーマンの「情報処理心理学入門」がお薦め)具合に依存します。 シナプス接続は主に後天的経験によって決まり、完全に同一の後天的経験を持つ人っていないでしょうから、このシナプス接続は各人皆異なる。 よって、同じアイテムを見てすらその連想は異なり、すなわち同じアイテムを見ても見る人ごとに萌えポイントも異なる、というように、萌えとは極めて主観的な価値観であると。
ですから、「わしゃ、ここらへんが萌えると思うのですが」ということは各人言えるが、このように同一の対象に対して各人ばらばらに持つ「萌え」感情を、ある一人の萌え意見によって代表して当該アイテムの萌え要素を遺漏なく記述できるか?という点ではかなり無理があるかと思うのです。
#つまり、「あなたの萌える点を書いてください」なら可能かもしれないけど、「このキットの萌え要素を書いてください」というのは共通語がありうるのか-シナプス接続違うのに-という段階で悩ましく。
それでは、逆に抽象度をあげ、萌え要素というのはなんらかの大枠で整理分類して説明可能なのか?ということについても、ガレキ愛好家という集合の単なる一要素である自分が思いつく萌え要素など、萌え要素集合の中の部分集合にすぎないですから、この部分集合の要素の分類をもって全体集合の要素の分類と言い張るのも検証が足りないのではないか、列挙できていないのに分類しても漏れあるだろうとか、もう目の前に壁がだーっと立ちはだかっているような気持ち。

3.萌え模型分析
まあ、壁は壁として、あきらめてしまったら口に入れてもらえないので、満点は無理としても合格点を目指して進むしかなく。 何回かの会議の後、「分析的に言われれば多少は理解できるかも。というか、どこから見たらいいのか位はわかるかな」との意見が出され、なんらかの分析的、すなわち形式的要素分割の手法を取り入れる必要性が示されました。 で、このツールとして、MG1999年11月号にて、表現力、工作力、殺傷力の3軸からなるレーダーチャートの提案がなされ、「ははは、まあ、たしかにそんなもん」のような感想を持った人も多いと思いますが、これを使えないか、と。 ただ、殺傷力という、従来模型軸ではあまり語られなかった要素を提示した功績は大なのですが、その定義があいまいであったため、用語の運用が 「ほえー、わしゃ、このキットによろめくー」とかの感情から、表現的要素と工作的要素を引き算した「残り」が殺傷力、のように行われてきたきらいがあります。 さすがにこれを用いて萌えを説明するのは苦しく、編集部といっしょになってブレーンストーミング形式で抽出した萌え要素を無理やりに整理分類したものが、記事中の6軸。 6軸として、A:セツナサ、B:ときめき、C:ふぇち、D:空間構成、E:正確さ、F:模型的精密度(注:草稿時:雑誌掲載時には若干順序が変わっていますが、以下では草稿時に使用した順序で話します)と分割し、A-Cが萌え系要素を、D-Fが造形系要素を表すものを配置。 A側に近いほどより主観的なもの、F側に近いほどより客観評価可能なものを。 そして、A-Dのような点対称の位置にある要素は、原因となる造形要素とその結果惹起される萌え系要素を置いてみたり(実際にはこのような単純な因-果関係となっているわけではないですが、主要因と思われるものを接続しています)。
軸を定義したあとは、それぞれの軸の配点。 ここは多人数の平均点を用いても仕方ないので、後藤がモルモットに。 すごく偏ってますねーとか言われながら、普通偏るものでない?とか弱々しく反撃。
軸の長さが決まったならば、それぞれの作品の点数付け。 点数付けなど不可能なような気もするが、軸が評価可能であることを検証するには、サンプルをそれぞれの軸で採点してみればよい、という極めて即物的理由から、各人ばらばらな萌え感情の下で単なる一人の感想をもとにした採点結果を公開(この採点結果は、後藤にとっては意味あるのですが、後藤以外には意味ないでしょー)するのはいかがなものかとかぶつくさ言いながら無理やり点を分配。 しかし、このような点数、朝見たテレビやお昼に飲んだコーヒーの砂糖の量によっても変わってしまうくらい「気分」でつけていますけど、よろしいのでしょうかー?議論になるのでしょうかー? まあ、無理やりにでも採点できるのだから、評価可能な要素からなる軸であることは実証されましたが、値がついたという事実だけが重要で、値そのものは忘れてくだされ。

4.で、その後
ということで、軸として「評価すべき要素」の一覧を提示してみた(さらに、各人ごとに軸の長さが変わりうる、ということと、それぞれの軸にしたがって各人が各人にのみ通用するという限定つきながら定量化が可能であることを言ってみた)わけですが、これで視点が変わりうるか、ということは結果待ち。 だいたい、軸の正当性、すなわちとりあげた要素が妥当かどうかはほとんど議論していないので、読者の方の「この軸では足りない」とか「要素として取り上げる方向が誤っている」などの応答次第では次があるのかのー?


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