繰り返しになりますが、クリカニはファンジン活動へ立ち戻れ、との指向を明らかにしています。
極端な見方をすると、ファンジン活動とは自分たちの好みの作品を勝手に支持して勝手にみんなでわやわやとシェアードユニバース(共有世界)を構築していくことです。
これは、たとえばRPG小説におけるドラゴンランスやSF小説のダーコーバ世界のアンソロジーが有名でしょう。 元の作者とは縁もゆかりもない一読者が、元の小説舞台をもとに(またときには主人公すら「流用」して)自作の小説(ふつう外伝っぽい)を作ってしまうものです。 近年のコミックスによる格闘ゲームアンソロジーもこの類と考えてよいでしょう。
ここではアンソロジーなどという極端な例を挙げていますが、たとえばガンダム世界でのモビルスーツの開発年表を作成した、とか、エヴァンゲリオンの「シ者」の解釈の論文、自分で書いたスレイヤーズの「白蛇のナーガ」の肖像画、等々、なにかしらその作品世界に対して付加するものがあれば、それは立派なシェアードユニバースの構築です。 ある作品世界に何かしらの感銘を受ければ、視聴者・読者にその作品の解釈なり思い入れなりが生まれるのは当然かと思います。 そしてその解釈・思い入れを同じ感銘を受けた人々とインタラクションをとりたくなる、その方がよりうれしい、というのも自然かと思います。

このようなシェアードユニバース構築の大前提として、元作品の加工(少なくとも使用)を許す、ということがあります。 つまり、著作権なり肖像権なりを一時停止して、その使用を自由に許す、ということです。 たとえばエヴァンゲリオンのTV放送で出てきたキャラクタや概念、世界観を全く使用しないエヴァンゲリオン小説、 などというものはありえないことは、 もう、言葉の定義の時点で明白でしょう。
言い換えると、ファンジン活動とは原作のある要素を変形または編集することであり、 このようにとらえると厳密には著作権を必ず侵害する類のものなのです。
このように書いてしまうと、ファンジン活動とは非合法な活動(^_^;)であり、有害無益なもの、になってしまいますが、 あくまでファンジン活動はその対象となる作品の応援団であり、 作品制作元にとっては無料で奉仕してくれる広告媒体(かつ、消費者である^_^;)なわけで、 うまく機能している限り作品制作元にとっては歓迎こそすれ排除する理由は存在しないかと思います。 つまり、なにかしら作品制作元とファンジン活動家とはどこかで合意点を見つけだせるものであると考えます。

この合意点は、基本的に、「作品制作元に損害を与えない」ということが必要不可欠な要素になります。 これは二つの要素:

  • 作品の売り上げを妨害しない
  • 作品に関することで利益を上げたときには、その正当な分配を作品制作元に行う からなるかと思います。

    「作品の売り上げを妨害しないこと」は、模型、という、元作品とは全く競合しない状況では、負の広報活動をしないこととほぼ言い換えることができるでしょう(あるコミックスのパクリや同工異曲の作品を模型で作る、などというものは不可能ですから^_^;)。(注1)
    負の広報活動としては作品の世界観を破壊する、というものが可能かと思います(模型をもってして元のコミックスの批評とする、なんぞということは....^_^;)。 たとえば、ベルダンディ(ああ!女神様)のエロモデルをつくって、正当な原作愛好者(正当、というのは、料金を払って作品制作元の商品を購入してくれる、という意味であり、それ以上の意味は存在しません)の不興を(場合によっては原作者の不興、ということもあるのかもしれませんが)買う場合でしょう。 正当な原作愛好者の築き上げてきた「女神様」の世界を破壊することで作品の購買意欲を少しでも損なう可能性があれば、 これは十分な脅威です。

    「作品に関することで利益を上げたときには、その正当な分配を作品制作元に行う」ことに関しては、 利益が出ないようにする、という方法と、利益分をきちんと還元する、という方法があります。
    後者は多くのガレージキットイベントで行われていることです。 ただし、一般に版権元とガレージキットメーカーの力関係もあり、 「一日版権」はロイヤリティの高さや見込み販売数による事前徴収(実販売数による調整返金なし)ということでかなりガレージキットメーカー(特に趣味でやっているアマチュアディーラ)の負担になっています。 しかし、一方、版権元から見ると、事務処理ばかり必要で儲けの出ない活動、ビジネス的には成り立たない活動であり、ファンサービスの一環としてボランティア的にやらざるを得ない、あまりうれしくないシステムでもあります。 つまり、版権元とガレージキットメーカー両者とも嬉しくない、と言ってしまってはいいすぎでしょうか?
    クリカニでは前者の方法を模索しています。 これは、最大販売量を制限して、金銭的な「儲け」はでないようにするのです。
    #キット同士の交換、などということも薦めています。
    多くのアマチュアディーラでは自分で複製を作るかと思いますが、このような場合、どうせ数はできないので、 なんらデメリットは発生しません。 儲けを出さない、という制限を加えることで、企業とアマチュア(ファンジン)の分別が結果的に行われます。

    で、後藤の感じるところ、この「クリカニ」は、自然発生的に立ち上がってきた純然たるアマチュアディーラによるファンジン活動として作品制作元との折り合いがつきうるイベントと思えるのです。 本当に運営はボランティアのみによっかかる活動かつ数量制限や倫理規定などの許諾条件相当は出展者の善意に頼るという、基盤は脆弱きわまりないもののですが、ぜひともがんばって 「思い入れのあるものは自由に作って発表してよい」というコンセンサスを形成する核になっていただきたいものです。

    (1996-12-09記 文責:後藤)

    注1:原作の売り上げに関しては上記のとおりです。しかし、商業ガレキメーカがその作品のガレージキットとしての製造・頒布権を取得した場合を考えると、アマチュアのできのよいキットが少量と言え流通することがそのガレキメーカーの売り上げに対して大きな影響を与えます。 真の問題はここにあり、このような利害関係が顕著な局面では、商業ガレキメーカーが元著作権者に対してそのようなファンジン活動の制限を申し入れる、すなわち、元著作権者対ファンジン、というより、そのような商業ガレキメーカー対ファンジンのような対立構図が多発しているように見えます。 さらに、人気のある作品、すなわち皆がオマージュとしてのガレキを造りたい作品ほど、商業ガレキメーカーが製造頒布権利取得に動く可能性が高く、このような衝突の起きる可能性が高くなることが、摩擦を大きくしていると考えられます。 言ってしまえば、この状況は、条件の異なる(さらに法的経済的力関係の異なる)業者間の競争と言えなくもないのですが、 商業ガレキメーカーも、アマチュアディーラも、ガレキ界には両方とも必須な構成要素ですから、両者とも共存できる、すなわち商業ガレキディーラがそのような契約を結ぶことのメリットを感じることの出来ないようなことがないように(例えば、使用料を払うことに対して不公平感を覚えないような)なにかしらの落としどころを探る必要があるのですが、1日版権というアマチュアディーラも版権料払っていますという姿勢を見せる(事務コスト等から考えると皆の負担の大きい)仕組み以外になかなかよい解が出てこないところに悩みがあります。(2000-11-26追記)


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